ロンリーファイト

世界へはばたく建築士たちの酒場

建築士試験を通しての考える力 

前提を疑う

非常に大事な言葉です。

建築士試験、だれが正解としての答えを決めているのか。
この問いを考えてぬいている受験生は早々に合格していることでしょう。

そもそも国家資格として、
この試験内容で建築士という資格を与える制度自体が正しいのだろうか。

人が制度を作る限り、正解は誰かが作った答えだ。

正しいかどうかはさておき、その答えに近づく努力こそが試験勉強となる。


現実として、
建築専攻の学校を卒業して、
建築業界に携わる社会人になる。

なんとなく一級建築士があったほうが社会的にも認められるし給料もあがる。
将来的に考えてメリットは大きい。

一級建築士になるためには、みんな資格学校に通っている。
じゃあ、そうしようか。


・・・・


その後、現実を知ることになる。


マジ・・か・・。
この金額、
この勉強量、
このスケジュール、
この合格の門の狭さ、

ここで初めて理想と現実のギャップを知ることになる。

匿名で書かれている何の根拠もないデータを信じる人は多い。
単純に考えれば、その世界がわからない人間が、妄想でどれだけ語っても全く意味はない。


現実を見てほしい。
すでに地獄の門は開かれたということに。


ここで建築士試験を通して『考える力』をつけるヒント。
ダンテの言葉を送ります。


『この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ』



少しは気持ちが楽になるはずです。

負けてから

多くの受験生が全力で臨んだであろう一級建築士製図試験。
勝負なので勝者がいれば敗者もいる。

しかし、この勝負はあくまで試験。

人生の勝ち負けはここでは決まらない。

本当のことを言えば人生のチャンスが来たその時に準備が出来ていれば良い。
大事な人生のチャンスで負けては元も子もないのだ。

間違ってはいけないのは勝ち続けるためにはずっと勉強しなければならないということ。
自己研鑽を積む、自らを磨き深める、しかし、磨かないとしだいに錆びていく。

小さな勝ちで安心して歩みをとめてしまい、
人生のチャンスの瞬間に力を発揮できなければ何の意味もない。

全力で戦ったうえでの敗北、屈辱、自己否定も大事な勉強であり良い機会。
自ら自分の全てを壊して再構築することもすごく大事なこと。

試験には負けて負けて負けて負けて負けて最後の最後に勝つ。
それで問題ない。

そして人生のチャンスに向けて準備をする。

さて、次のステージの予告編。

人生のチャンスに一度勝ってしまうと、そこからは勝ち続けないといけない。

何故か?

そこに行けばきっとわかる。

そう考えると実力不足での合格は、その瞬間で考えればラッキーかもしれない。
けれどトータルでどうか。

時間が経てば必ず適正な評価はくだる。
幸運(ラッキー)は続かない。

勝ち続ける方法を考えなければならない。

+サービス

商品(建物)を売る。

サービス(顧客満足度)を売る。


つまり、商品価格(建物)+サービス料(顧客満足度)=総額


式の通りであれば、総額からサービス料を引けば安くなる。


さらに安くしようとすれば、商品価格からお客のわからない範囲で必要な仕様を抜いていく。


もちろん、丸裸の仕様にすればイニシャルは下がる。


世の中にはそれでいいというお客がいる。イニシャルコストが安ければ安いほどいい!

もちろん、考え方は人それぞれ。でも確実に罠。

業界基準の仕様がわかる人からすれば欠陥と呼ばれてもおかしくない仕様でも素人にはわかるはずがない。


建設業は各社によって見積金額が違う。あたりまえだ。

レギュレーションが違えば宣伝広告料、ブランド料、人件費、内訳は様々だ。


建物は建築素人の偉い人たちの多数決で価値あるモノが決まるわけではない。


サービスとは顧客満足度のこと。

つまり、より良いサービスを受けたいのであれば、サービスの対価を見極めなければならない。


その会社が何を売っているのか。

もしかすると満足は売っていないかもしれない。


客は何を欲しがっているのか。

もちろん、ブランドだけほしいだけの人もいる。カモネギ
必ず不幸になる。

そういった心理を請負者が逆手にとれば、ブランド力だけあるように魅せれば良いと考える。

どこかの有名建築家に師事した。
どこかの有名大学で権威のあるポストだった。
どこかの賞を・・・。
また、コマーシャルに有名芸能人を、
流行りの魅せかたで。

サービスの価格がそのまま満足度に比例するならば、何も問題ない。
だけどそうはならない。
子供でもわかることだ。

自分にとって、本当に価値あるものは何か。

満足度を商品化できれば、その会社は必ず成功するとおもう。